344日目 : Abena
たまたま出会った とある女の子の おはなし。
名前は Abena 19歳。
この春に職業訓練校のケータリング科を卒業したものの、現在も仕事を探している。
近くの街まで行ってレストランなど店頭で直接「仕事ないですか?」と聞いてまわっているけど仕事はなかなか見つからない。
ケータリングのことも もっと勉強したいけれども、専門学校や大学に行くお金もない。
お母さんと叔父と一緒に一部屋に住んでいるが、そのお母さんや叔父も仕事がなかったりうまくいっていないらしい。お父さんはいない。
ケータリングで学んだことを活かして、何か軽食を作って露店を出してみたら?という私の提案には「そのための簡単な設備を揃えるお金すら無いよ」という返答。
そして最後はこの一言でした。
「ま、神様にお願いするしかないよね」
先日タウンから自宅に帰る際、土曜日の帰宅ラッシュでに揉まれ揉まれて足止めをくらってしまった私。夕暮れも近づくなか、トロトロはどれも満員で乗れず… ステーションには溢れかえる人… うむ… 困った… という状況で、偶然となりに立っていたのが彼女でした。
彼女も同じ方面に帰宅する様子だったので「私も同じ方面に行きたいんだけど…」と私から声をかけました。もちろん助けてほしい一心で。。
帰宅ラッシュ直撃で人も車もごった返しのステーションで、私の手を引きながらあちこち探し回るも、現地人である彼女の力を持ってしても目的のトロトロは見つからず。結果的には 短距離を乗り継いだり、どうしてもトロトロが捕まらなかった区間は歩いたりしなが、なんとか帰宅できました。。
途中歩いたのは1時間弱。
ひとりだったら絶対歩かないけど(安全上)、彼女がずっと一緒にいてくれたので安心できました。
そんなお散歩中の会話の一部が、冒頭の おはなし でした。
彼女はこの話を、ただ淡々と話してくれました。
きっと彼女にとっては悲しい話でも、愚痴でも文句でもなく、恥じることもなく、そして私に媚びる様子も一切なく、本当にただ淡々と。
それどころか「足元気をつけてね」「荷物持とうか?」と終始私を気遣ってくれました。
そして私も、それを淡々と聞いていました。
今日も仕事つかれたよ〜とか、昨日こんな面白い出来事があったよ~とか、そういう他愛もない話をすると同じ力量で。お互いに。
こういう話を聞いたときに。
彼女の生活に思いをはせて心を痛めるとか
こういう世界を変えたい、と使命感を抱くとか
何かできることは無いかな、と必死に考えたりとか
そういうタイプの人間 ではない のですね、私。残念ながら。
どうにかしてあげたい気持ちはあるけど、私ひとりで何ができるのか検討もつかないし。無責任に助けたいとか何かしたいなんてことも言えなくて。
「あなたの状況は理解できるよ、この国ではみんなそうだよね、よく知っているよ。そうだねぇ。」と言いながら聞いてあげることしかできず。少なくとも今の私には。
という結果の 淡々。
彼女のような状況の人はたくさんいます。
というか、私の配属先(職業訓練校)を卒業していった旧3年生たちも、きっといま同じような状況に直面しているはず。ここではみんなそう。
なのに、彼女の話はなんだか心に残りました。(なので今書いています)
お金ないよ~
仕事無いよ~
という話をされるのは少なからずストレスを感じます。だって良い話ではないし、人によっては「お前はいいよな」というひがみを含めてくる人もいれば、「お金持ってるんでしょ?ちょうだい」という下心が見えるときもありますし。
でも彼女と話していても、何もストレスを感じませんでした。
きっと彼女の性格?人となり?によるところもあると思うのですが、私のことを珍しがることもなく(日本人には会ったことないと言っていたけど)、突然話しかけてきた外国人のことを優しく助けてくれて、茶化すでもなく、かといって照れるでも恥ずかしがるでもなく、すごく自然体で接してくれました。それがとても心地よくて、私もすっかり気を許していました。
すごく良い子だったな。
きっと単純に、人として気が合う子だったのかな、と思います。
そいてなにより、彼女への「ありがとう」の気持ちが私の中であふれています。
人のやさしさ、しみる。。
別れ際、さすがの私も何かお礼がしたくなって、パンを買ってあげました。
彼女が家についてすぐ、彼女のお母さんが「ありがとう」と言っているボイスメッセージが届きました。ほっこり。
自分はいま、アフリカにいて、途上国にいて、こういう世界で生活しているんだな~と改めて感じますね。
彼女のような人が、神様以外に頼るものができる社会になればいいなぁと漠然と願います。
まとまりがないですが、完。